2012年12月15日土曜日

12/15/2012

こんにちわ。今わたくしはベルリンにいます。
おそらく人生最後になるであろう留学(遊学?)の為。
こちらに来て早くも1か月半…言葉の壁やら習慣やらにかなり打ちのめされたなー。
ですが、これが海外生活の醍醐味。

だいぶNOBUHITORI日記の更新の怠慢度がググッと増してるけど、まぁゆらりと、ね。

この数年間、脳みそのすごーく端の方で、無意識のうちに疑問だったことがあります。
「なんで自分は海外に身を置いて、成長しようとしているのか。」
先日、ある方のコラムを読んでいてそのモヤモヤした疑問が分かりました。
その方のコラムにはこんなような事が書いてありました。

「海外に旅行すると、すべての決断を自分自身でしなくてはならない。ホテルを予約したり、食べ物を買ったり、道を聞いたり。自分の身に起こるあらゆる『する』『しない』を自分で決める。それは、自分の旅であって他の人や現地の人に委ねるわけにはいかない。
 自分の国では、その決断の回数が日常生活の中では少ない。けれど、海外ではすべての事柄が自分の判断によって変わってゆく。」

そうなんですよね。
上で言われていた事はあくまで旅が前提になっているけれど、住む上においても同じ事が言えるなぁと思いました。
出発の日程や航空券の購入から始まり、外国に着いてからも居住手続き、銀行開設、仕事探しに友達作り。もうどんどん決断しなきゃならない事がやってくる。
少なくとも、僕はそういったものを器用に出来る人間ではないです。失敗しないようにしっかり準備したつもりが、万端ではなくて失敗します。
現地の人はヒントはくれますが、誰も代わりにはやってくれないんです。そこから逃げることは出来ない。逃げれば後で自分が困ってしまう。
当たり前のように思えるかもしれないけど、とても大事な事です。
もちろん、その失敗から学ぶ事もたくさんありますけどね。

この「自分で動いて、自分で決める」っていう事は、すごく良いトレーニングになるんです。一つの事を決めるのに、色んな情報を集めて、頭の中でシュミレーションする、そして行動に起こす。
難しく聞こえるかもしれないけれど、けっこうみんなやってます。僕もね。

例えば、好きな人にプレゼントしようと思うとき。
その人の趣味や好みを知ってどんなものをあげようか考える。(情報収集)
いつ、どんな場所、どんな状況で渡そうか考える(シュミレーション)
当日ベストの状態で相手にプレゼントを渡す(行動)

(こういう書き方をしちゃうとロマンチックさが欠けてしまうけれど許して下さい)

人生は選択の連続。
僕はどっちかっていうと、その選択の多さで成長を感じれる人間なのかもしれないです。
その選択が合ってる時もあれば、そうじゃ無いときもあります。
けれども、どっちにしても得るものはあると思うんですよね。

などと、偉そうな事言ってますが言ってる当の本人はその選択でいっつも悩み倒してるんですけどね。あはは。

ということで、今回はおしまい。
それでは。

2012年6月27日水曜日

帰るところ

なんだか、僕っていうのはどちらかというと強い人に見えるみたいです。
急に仕事辞めたり(後先の事はもちろん考えてますけどね)、海外に飛び出したり。
周りの人にしたら、けっこう勇気あるなぁと思われてるようです。
自分では、こんなに臆病な人はなかなかいないんじゃないかと自負しておりますが、幸いにもそういう声を頂いてます。

けれど、僕が場所にしろ物事にしろ「わーっ」と飛び出して行けるのは、やっぱり帰ってこられる場所があるからなんですね。
もし、どこかに行ったとしても帰る場所がないとなかなか飛び出す事は難しいのかもしれません。
ひょっとすると僕は、帰る場所が無いと動けなかったのかもしれないんじゃないかな。
別に、定期的に誰かに頼っていたいという意味ではないんです。
なんて言うのかな、心のふるさと的な物が僕を知らぬうちに支えになっていたんだなと気づいたんですよね。
それは、親や友達、自分の故郷や思い出なんかもでもです。
とにかくその僕が帰れる場所、人々が力を貸してくれていたんですよね。

でも、その逆もあって。
僕がそういう様に行動を起こして、みんなに元気とか刺激を与えられていたんです。
それは、周りの人たちがそういう言葉をくれて気づいたんですが。
そりゃもう、本当に嬉しかったんです。
ただただ毎日、浮いたり沈んだり泣いたり笑ったりしてたんですけれど、それだけでもみんなにそう思って貰えてたなんてそんな幸せな事はないですよ。

なんか、自慢話に聞こえちゃいますね。と言うか、自慢です。うん。
僕の唯一の財産は僕の周りの人たちみんな、ですから。

20代の中間地点にやっとこさ到達して、色々と考える事はあります。
でも、僕にしか歩めない道を今歩いてるんだと信じて一歩ずつまた進んでゆきます。
僕もまた、知らぬ所で誰かの支えになれるといいな。


それではまたです。


2012年5月14日月曜日

3つの事

だいぶ長い時間、日記をサボっていました。
待っていて下さった皆さんすみませんでした(いる事を願いつつ。)

えー、だいたい1ヶ月ぐらい前にNew Yorkより日本へ帰国しました。
理由はまーいろいろありますが、結論から申し上げると次へのステップの為です。
日本にはもうちょろっといますんで、よろしくおねがいします。

日本に帰って来てまず感じたのでは、自分は日本人だなって事です。
上手く表現する事は出来ないんですが…なんていうかな。
こう流れる時間がピタッと自分にくっついているというか。
とにかく居心地は非常によいです。

でも、時々そのフィットする感覚に違和感を感じるんですよね。
やはり向こうに住んで、向こうの文化とリズムに合わせて生活してたのもあるんですが、
こうなんだか日本の心地よさにだいぶもたれかかり始めてるなーって。
僕って人間は、油断するとすぐ怠けるんですよ。
おそらく全日本なまけ者選手権で上位を争えるとおもいます。

なので、もうちょっとがむしゃらに頑張ってみようかなと。
勉強も経験も遊びも仕事もね。


そんな中で、気づいた事がありました。
向こうで自分が得たもの。

「時間とお金と可能性」

この歳になっていまさらかよーなんて言われてしまうかもしれませんが、
この歳になって気づけたんですよね。

時間とお金については、付き合い方が本当に下手っぴだったなぁと思います。
お世話になるくせに、なんの感謝もしないまま。
この歳になってだいぶお灸をすえて頂きました。いやー熱かった。

可能性に関しては…
特に自分に可能性が秘められてるんだーっていう事ではないです。
まぁ、もちろん自分を信じようとは思っていますが。
つまり、頭の中だけで結論を出してしまっていたなぁと。

具体的に言うと、
自分が初めてやる事とか苦手そうな事を、出来ないと先入観だけで決めてしまったり。
変なプライドだけ持ったまま、自分はこうじゃないって結局何もしなかったり。

そういう事って、僕の人生で山ほどありました。
そして、そう思うと同時にすごくもったいなかったなぁと後悔なんかもしたりして。
もちろん自分一人で気づいたわけではないです。
周りの色んな人にアドバイスを受けながらようやくわかったことなんです。


世の中には、やろうと思っても難しい事はたくさんあります。
でも、だからってそこで無理だーって後ずさりする必要なんかなくて。
もし自分が少しでも興味があったり、可能性があるかもしれないって思うなら
どんどんチャレンジしてゆくべきだと、僕は考えます。

と、なんだか自分の事を言ってる気がしてきました。笑


「奇跡とは、努力した人間への結果である。」

僕の尊敬する人が言っていました。


アリとキリギリスの「アリ」になるように頑張ります。


今日もみなさんが一日頑張れますように。

2012年2月21日火曜日

いろいろできる人となにかがすごい人

この前、友人の画家さんと飲みに行く機会がありましてですね。
彼は僕より一つ年上で、非常に社交的な好青年です。
個人的には、僕は彼の書く絵に非常に惹かれます。
チャコール画(あんまり絵は詳しくないんですけど、炭でかくのかな?)を書いてるんですが、なんともいえない深みというか、柔らかさっていうのがそこに存在してるんです。

彼とこの間、
「いろいろと出来る人となにかがすごい得意な人はどっちがいいのか?」という会話に。

ある程度のことはだいたい人並みに出来るバランスタイプ。
だいたいの場所では対応してゆける。もちろん対応する為に努力もしますが。
でも、何か自分の強みっていうのかなー、「これは俺は負けないぞ」っていう部分が弱い。

対して、

一つの仕事、物事に対してすごい力を発揮する突出タイプ。
絵に関しては、やってやるぞという意気込みはすごく強い。
でも、いろいろな場面で対応していくのはかなり苦労するみたいです。

どっちがいいのかなーなんて話してまして。
分かった事は、「お互いないものねだり」だなぁという事。
そして「そういう人たちで力を合わせれば、なにかを作ったり築いたりする事が出来る」という事。

小さい頃、冒険モノのテレビゲームをやっていましたが、
必ずモンスターを討伐するには仲間が必要でした。

・攻守共にバランスの取れて皆をまとめる人
・攻撃の得意な人
・防御の得意な人
・そのパーティをバックアップする人

こんな感じが、大体基本的な形でそれぞれがそれぞれを助け合って冒険をしてゆくのです。

今、こう文章にしてみると
なんだか世の中はこんな組織体で出来上がっているのかなと思います。
上に書いたのはあくまで冒険の中であって、実際に誰かを攻撃したりするわけではないですよ。笑
つまりは、それぞれが自分の得意なフィールドで頑張る。
足りない部分はみんなで補って、力を合わせてゆく。

そう考えると、本当に人ってのは繋がって生きてゆく生物なんだと感じます。
その為に、地球には人間がたくさんいるんじゃないかな。


もちろん僕もその一人。
そしてこの僕の中にも特別な何かがあるかもしれない。
役に立ったり、みんなを助けたりする何かが。
それを見つける為には、もっと経験したり勉強しなければ。まだまだ成長しなければ。
みなさんの中にも、きっと特別な「何か」がありますよ。





それではまたです。

2012年1月30日月曜日

じかん

ときどき「あーあ、時間がもっとあればなー」なんて思ったりします。
みんなも一度はそんな事思ったりした事あるのではないですか。
1ぷんは60びょう、1じかんは60ぷん、1にちは24じかん、1ねんは365にち。
昔の人々はそのように決めました。
そのなかで、今の人々は生きているのです。

時間ってのは、目に見えないんですけど常に人々にくっついてまわる不思議な存在です。


時には邪魔に感じても、ふと愛しくなったり。
助けてもらったり、苦しめられたり。
この時間ってのは、なかなか色んな事をわたしたちに与えてくれます。

逆に人間の主観で考えてみると
遊んでるとき、なにかの締め切りに追われてる時ってのは、時間を大切にする。
苦しい時や何もしてない時ってのは、時間をあまり大切にしていない。
まー自分とはわがまま人間だなと思います。笑

以前は、ある所で営業をやっていました。
正直、時間に対してかなり申し訳ない事をしてしまったなと思います。
時間が足りなければもう時間が過ぎるの早すぎーなんてプンプン怒っちゃったり。
上司にどやされればもう時間が過ぎるの遅すぎーなんてシクシク嘆いちゃったり。
なんとまぁ申し訳ない事をしてしまいました。この場を借りて謝らなくては。すんません。

でもですね、今はもっと時間と大人なお付き合いをしようと心がけています。
適当に扱えば適当な返しがくる、大事にすれば大事にもしてくれる。
こっちのわがままばっかりに合わせてもらい続けても、時間も疲れてしまうでしょう。
なるべく大切に。

仕事をするのも、友達と飲むのも、恋人と過ごすのも、喧嘩するのも時間がなくては出来ません。
震災や戦争が経済問題が起きるのも時間の中です。
ですが、小さな命が育っていくのも然り時間の中なのです。


自分に出来る事、やれる事を考えていきますね。



それでは
今日も一日みなさんが頑張れますように。

2011年12月21日水曜日

繰り返し繰り返し

NYに来てからですね、あまり日本語を書く機会が減ったんですね。
ま、当たり前といえば当たり前なんですけど。

最近は、勉強したりしてよく日本語を書いているのですが、漢字ってやっぱりおもしろいですね。
僕、意外と漢字が好きなんです。書いてると落ち着くっていうか、上手に書けた時なんかは「えへん、ぶーのーさん上手くやりましたね」なんて思ってみたりもするんです。

みなさんも経験したと思いますが、長期の休みによく出る

「計算ドリル」と「漢字ドリル」

この間、これをふと思い出したんです。
僕なんてのは、あんまり頭の出来がいい方ではなかったんですけど、漢字はとても大好きでした。
計算ドリルは夏休みが終わる3日前ぐらいにいやんだいやんだーって具合にやってましたが、漢字の方は夏休みに入る前には、すでに一年分終わってしまっているという変な小学生でした。
確かに書いてる時は、手も痛いしえんぴつで汚れるし、やめたいなーとかって思ってまして。
漢字がテストに出る範囲なんて10問くらいだし、特に誰にも誉められる事もなかったですし。

でも、漢字練習はやり続けた。おかげで、テストではいい点取れたし、未だにまだ頭の中にしっかりとそれが残っている。

いやはや脇道にそれちゃいましたが、何が言いたいかといいますと。
「好きな事を見つけてとことんやれば、結果は出る」ということなんです。

これって、仕事や人生にも言えるのではないかなと。
人にはなんていうんですかね、必ずぴたっと型にはまる物ってのがあると思うんです。
これだ!!みたいな。
それを見つけるのってなかなか大変な事なんですよね、自分の選択や周りの環境も関係してくるでしょうし。でもそれを見つけてる人って、実はいるんですよね。
その道も人それぞれで、最初からそれに向かって頑張ってその「場所」を見つける人もいれば、偶然その「場所」に辿り着く人もいれば、はたまたまだその「場所」に歩いている最中の人もいる。
僕はまだ、上に書いてある3番目の人に含まれるでしょう。
その「場所」ってのを見つけたいんです。

以前、ボクシングの辰吉丈一郎が言っていました。
「楽しいことをとことんやったら、辛くなる。でも、俺はボクシングが大好きやから苦しくても続ける事が出来る。最近の奴らは楽しい事をただ楽しくやってる気がするな。楽しくて好きな事だからこそ、辛くてもとことんやらな。」

いつも思い出して。いつもギクッってします。
僕も、楽しいことを楽しくやってしまっているなぁと。
さて、頑張りますか。


それでは今日も一日みんなが頑張れますように。

2011年12月16日金曜日

夢の集まる街とそこに集まる人たち

NYにきた時の事をふと思い出しました。
本当に人種の混ざる街で、刺激がたっぷりの場所。
求めれば求めるだけ、色んな事が吸収できる街。

前に雑誌で、「ニューヨークはレコードのような町」と言っていました。
それによると「ニューヨークは真ん中に行けば行くほど安定するけれど、外側は遠心力ですぐにはじき飛ばされてしまう。頑張ってしがみついていかなければならない街」って書いてありました。

確かにそうだなー。
夢がつかめる場所って事は、掴もうと必死になってる人間が世界中から集まってきていて
そりゃそーとー大変です。てんやでわんやな訳です。

僕もNYに住んでいる間色んな人に会いました。
すごい人にもたくさん。今も現在進行形だけど。
でも、見た目がどうであれ、夢を掴んでる人ってのは「陰の努力」ってのを相当しているんです。
僕なんかでは想像出来ない程、血の滲むような努力を。
でも、それをみじんも僕らに見せないで頑張ってるっていうのは
なんか…カッコいいよね。
そういう人たちを見てると、すごく気持ちがいいです。


「あ、あの人○○で有名な人らしいよー」

いつか俺も、なんちって



それではまたばい